安心の大坊本谷林道と不安な月夜沢峠の未来

高山市久々野にやって来ました。大坊本谷林道を行きます
ここは毎年来るぐらい好きな道です

入り口はココ ※地図中央の十字マーク

いきなりコンディションのいい自然土が気持ちいい(^o^)

今回はこの支線に入ってみる
本線の南側に東西2本に分かれて展開されている

若干岩が多めだが、概ねいい状態

分岐地点に到着。まずは西側の道を行ってみる

どうやら鉄塔保守道みたいだ

やがて前進が厳しくなってきたから歩きに切り替える

まだ道は続いていたけどバイクではここまでの様子

分岐に戻って今度は東側の道を行く。こちらのほうが車両跡がしっかり付いている

西側と同様に最後は歩きになるんだなー (^_^;)

こちらは地図通りの終点となった

この終点付近はすごくいい眺望だった\(^o^)/

正面は位山かな?

さて、支線を出て本線を進もう

雨の翌日なので水量が多い

深いから沢渡りは止めておいた

相変わらずいい道(*^^*)
でも工事車両が頻繁に通るためにフラット気味なのがちょっと残念

 

大坊本谷林道を出て、松本市奈川までサクッと移動
野麦峠をスルーしてココを入る
月夜沢峠の様子を3年ぶりに見に行こうと思った

ここは友好的なトラロープだけだが、今日はそれも外れていた

モノレール基地が新設されている。後ではっきりするが、ここも鉄塔工事が行われている

奈川黒川林道と月夜沢峠との分岐に到着した
ゲートに旗が、奥に工事掲示板が見える

 

奈川黒川林道はしばらくはダメそうだ。工期を探したが見付けられなかった
予定通り月夜沢峠に向かおう
しばらくは平和な幅員が確保されている。轍が新しいので直近も4輪が入っている様子だ

 

3年前に見た崩落がそのままだ。何も変わっていない(T_T)
土砂の他にも倒木が何本も重なっている

崩落箇所は月夜沢峠までちょうどあと半分ぐらいの地点です
3年経っても何も着手されていないので、直す予定はないのでしょう

なんとか峠まで行きたいのですが、自分で何とかなる範囲ではなさそうです
諦めるしかないのでしょうか・・
そう言えば、反対側もこの状態なので通り抜けは無理っぽいです↓

このままだと廃道になってしまいます。せめて崩落を直して松本側だけでも通行可能にならないでしょうか

※2017.6の反対側(開田側)の様子

 

天竜で回復しよう

 

先週末は雨、今週末も怪しい空模様
このままだと今週平常心でいられそうもないので天竜に向かいました

今回はリフレッシュが目的ですので探索はなしです。鉄板ルートを行きます
鉄板ルートとは、
・知ってる道
・ダート多し
・ゲートなし
・ピストン少ない
・崩落少ない
・工事少ない

いい事ばかりです(^^)

定番ルートをメインに周辺にも寄り道しました

 

このブログで何度も登場する、もはや説明不要なコース
ようやく地図を見ずに周れるようになりました
伊砂の糀峠獅子久保林道から 〜 向山 〜 カシ山と渡り、本命のハサカ山 〜 瀬尻から丸山を巡って、最後は尾曲で降ります

糀峠獅子久保林道は今日も最高の状態。この時点ですでに興奮気味だ(*^^*)
伐採作業が盛んに実施されていた

五六線の倒木は処理されていて通れるようになっている
ここは600mほどの短いピストン。今日は入り口を覗くだけ

東嶺林道の終わり、ひっかけ交差点。
右(東方面)に行きたければ左折しよう(^_^)/

向山への道は雑草の絨毯が仕上がっている

朝は曇っていたけどすっかり快晴だ。最近の天気予報はよく当たる

向山を降りてやや南下、久しぶりにカシ山に上がってみる。状態が凄く良い

この道ってこんなに良かったか? \(^o^)/

(@_@;) 偶然にも発見があった
西側に新道ができている。航空写真にも載っていない出来たて?
まだ開設途中だけど、方向的には石打地区の辺りで接続しそうだ

新道発見がきっかけとなり、カシ山の道を全部行ってみた ←結局探索してるやん。
外周は舗装化されているが、内部にはダートが残っている(青線)
市ノ瀬トイレから上がって、ラジオ中継局で戻ってくるだけでも楽しいと思う

樽ノ口線はラジオ中継局から入る北から3番目の道

この道は視界の抜け方が最高だ

あまり使われていないようで、木々に道が塞がれそう

カシ山を周ったら、次は本命の伝田石林道。ハサカ山を上がる

いつ見ても見事な送電線の交差点。今日は快晴も相まってシャープに映える

楽しすぎて写真は1枚だけ(^_^;)

ハサカ山を降りたら、瀬尻から丸山へ
瀬尻線 〜 西下里線 〜 西下里西線と繋ぐ

西下里西線は随分前に逆から入ったけど、今でも全線未舗装を保っていた

最近注目している「椎ヶ沢林道支線」の入り口に到着
ここに着く少し前にガソリン警告灯が点いたので入るのを諦めた(T_T)
満タンで100km未満はさすがに辛い。何とかしないと

雨の後は深い茶色になる。芸術的に湾曲する天竜川を見下ろして今日は終了にした

走行:120km 所要時間:5時間 休憩:5分を3回 転倒:なし(^_^)v

この時期、湿度が上がると体調が悪くなります。
快晴の山の中を走ることですっかり回復しました ※個人差があります

 

 

 

 

※大輪橋の例のギザギザ

東から橿山にアクセスするのに、R152の大輪橋近くから上がれる道を見に行きました

ここが現場。右から上がってくる道なのですが、なんか変です

道がありません?

歩いてみると、何となく道はありますが廃道化しています

BETAさん、ここは行けませんでしたか?

 

 

 

あの夏・・・ 仙境都市・伝説

先日、蓼科仙境都市の記事にコメントいただいた方からメールが届きました

当時の関係者の方で、状況を教えてほしいという私の要望に応えていただいたのです
非常に詳細な内容だったので、是非ブログに掲載したいと申し出たところ快く了承してくださいました

以下、ほぼ原文で掲載します  ※写真は追加しました

 

 

返信おそくなり失礼いたしました。

時は平成始め、バブル崩壊が地方にも刻一刻と近づく中
ある日1本の電話が「仙境都市」の存在と、ひと夏をあの閉鎖された空間で過ごすきっかけとなりました。
電話の相手は東京の企業からの依頼で、何でも蓼科にある会員制のリゾート地での仕事でした。

当時は今ほどセキュリティーや警戒心も低くネット環境などない時代でしたので
相手の企業が今まで手掛けた実績を鑑みて、確か一つ返事で仕事を受けたと思います。

私のいた会社は松本市近郊にあり仙境都市には車で2時間ほどかかるなどアクセスが悪いことなどから
泊まり込みでの作業スタートとなりました。
期間はとある夏の2ヶ月間。会員が多く滞在していれば延長もあり、という大変アバウトな契約内容でした。

スタッフの滞在費(ホテル代と食事代全て)は仙境都市側が全て賄うということでした。
さすがに晩酌代は自腹でしたが・・

 

・仙境都市へ出発

会社を朝8時に出発 途中大門峠の白樺湖で休憩し仙境都市を目指しました。
大河原峠周辺は当時でも珍しい未舗装のダートでしたので悪路から機材を守りながらの
慎重な運転で通り抜けた記憶があります。

大河原峠の山小屋は確か老夫婦が切り盛りしていました。
何処へ行くのか聞かれたので仙境都市でしばらく働くと言ったところ
老夫婦は、あそこはどんなところなのか関係者でなければ中に入れないから中の様子も建物など
私らには一切判らないね・・とだけ聞かされました。

入り口の「仙境都市」の看板にたどり着くと2人の警備員が現れこちらが説明すると
私たちが来ることを把握していたのか、いきなり低姿勢な対応で門を後にしました。
警備員は警察とよく似た制服でパトカーもその物でした。

仙境都市の会員は乗り入れる車に葉っを形どったまるで家紋のようなステッカーを
フロントの目に付く場所に張っていれば入門はフリーパスと聞きで翌日私たちにも支給されました。

 

・仙境都市の内部

仙境都市では其々の会員にランクがあるのか知りませんが知る限りでは

1.一般のホテルの様な利用
2.ホテルの部屋を分譲マンションのように会員が購入
3.戸建てのいわゆるログハウス的な分譲の建物で庭などプライベートスペースがある
(2、3どちらが高いのかは不明)

それら全ての部屋には仙境都市のケーブルテレビ網が張り巡らされていました。(数千ヶ所)
中でも山の斜面に建てられた眺望が素晴らしいアソシエイツのセンターハウス的な建物は
高級レストランやリラクゼーション的な施設があり秘境のオアシス的な存在でした。

また、別の建物にはヨガ教室やエアロビクス、絵画教室、ハイキングなど他にもいろいろありましたが
インストラクターやスタッフは東京から派遣されていたようです。

仙境都市のエリア内には幾つかのレストランが点在し焼き肉系、ラーメン、
テントの中で食べるモンゴル料理など様々あり高級レストランで飽きた人たちが利用したのでしょう。
もちろん自炊も可能で食材はエリア内にあるコンビニを兼ねたお店で調達できますが値段も良かった気がします。

会員の平均滞在日数はバラバラで週末のみの滞在から1週間以上仙境都市で過ごす会員もいたことでしょう。
我々業者が宿泊していた建物は車で7~8分の場所にあり冬場のスキーシーズンの営業に使っていたものらしく
入り口にはスキー板を固定する器具が並んでいました。

 

・仙境都市オーナー

毎週、週の後半になると仙境都市の社員の人たちがピリピリしながら、まるで最高の会員を接待するかのように対応している感じでした。
オーナーは見た目50歳前後、今元気なら80歳ぐらいになるのでしょうか・・・ポロシャツ姿の中肉中背男性でした。

私もいろいろな実業家の方たちとお会いする機会がありましたが仙境都市のオーナーほど強烈な印象はありませんでした。
いつもオーナーは夫人を連れ添い会員の中に混じって滞在していました。夫人は見た目40歳前後の色気のある熟女でした。
それと余談ですがオーナーはエビフライが大好物だそうでレストランにはいつも大きな上物のエビがないと大変だったようです。

 

・あのころから閉鎖されたリゾート地

令和のこの時代 現実に廃墟となった仙境都市は廃墟ファンの間でも浸透しているスポットだと思います。
当時30歳だった私は主に現場に出向していた駆け出し4年目でした。

ちょうどあの時代、山梨県の上九一色村というところに一つの国家を建国しようとした者たちが到底法律など
守るはずもない行為を繰り返しながらを信者らから膨大な資金を集めながら新興宗教を拡大していきました。
私は仕事柄関連施設に行く機会があり、当時の信者らと会話する機会や挙句の果て入信を良く進められたものです。

広大な施設に建設されたサティアンと呼ばれた建物の一帯は外部から一切閉鎖し外とは別の世界を作ることでした。
仙境都市もそれと同じとは言いませんが、もしあのままバブルが続いて富裕層の会員が定着していたらどうなっていたでしょう・・・

私があの夏施設内で一度も目にしなかったものは警察関係者でした。
普通ならあれだけの広い場所に所轄のパトカーが走ることは珍しくなく逆を言えば仙境都市がよっぽど長野県警に信頼されていたのか
オーナーの力だったのはわかりませんが、いまだ不思議な出来事でした。

仕事も終盤になり8月のお盆を過ぎた頃でした、あそこには沢山の大学生のアルバイトも働いていましたので
毎日学生の声を耳にしましたがある日風のうわさでアルバイトの疾走・・行方不明・・
噂話で会ってほしいと思いましたがその後が気になったものでした。

あれだけ閉鎖された空間で何が起きても不思議ではないですが、そんなアルバイトの話を当時聞いた時は
背筋がぞくっとしたことを今でも覚えています。

 

・最後に

お終いまで私の「仙境都市・伝説」にお付き合いいただきありがとうございました。
あれから30年近くが過ぎ私も当時勤めていた会社から別の会社に就職し今年の秋には還暦を迎えます。

元々、信州出身ですので退職後の選択肢は比較的自由人ですので趣味のオートバイで自然豊かで秘境の多い
長野県に戻ることもいいかもしれませんね。

しかし今あの周辺(仙境都市)は廃墟化が進んで環境の悪化も懸念されます。
今でもゲレンデを歩くと当時の会員らが打ちっ放しで飛ばしたゴルフボール(何万個出てくるでしょうか)が
土の中に埋まっていることでしょう。

あの場所の標高は2000メートルほどあり雲海が広がる朝は、まるで天空の城のような素晴らしい絶景を見ることが出来るなど
あそこに仙境都市を建設する切っ掛けにもなったことでしょう。
今後あの自然が更に破壊されることのないよう祈りたいものです。

以上、つたない昔話しでしたがトリKさまが、またあそこに行かれました時は拝読させていただきます。
尚、長野県(全域)、岐阜県(飛騨地方)等は仕事やプライベート(バイク、車)で何度も行ってますので
私に判ることでしたらご連絡ください。

それでは失礼いたしました。

 

 

 

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